歴史伝統が息づ都市、長久手。400前、このは「小牧・の戦い」の舞台とり、市内に現在も数多くの史跡が残されています。時代が交錯する長久手、あなたがだ知らない歴史探訪の旅に出かけましょう
Nagakute-city alive in history and tradition.M ore than 400 years ago, this area was the setting for the Battle of Komaki and Nagakute,” and many remnants of that battle remain in the city to thiday.Go on a journey and see the history you never knewin Nagakutecity where the old and new exist side by side.

秀吉と家康、生涯唯一の直接対決の地
Hideyoshi and Ieyasu, the scene of a once-inalifetimshowdown

天正12年( 1584)4 月9 日、羽柴(豊秀吉と田信雄(のぶかつ・徳川家康の軍が激突した「小牧・長久手戦い」の主戦場となったのが、ここ長久手の地です激烈を極めた戦いは退の攻防が続きましたが、秀吉の有力な武が次々に討死したあたりから流れは織田・ 川軍に傾きます合戦は田・ 徳川軍の大勝利に終わり池田恒ら秀吉方の主だった武将が何人も討ち取られました戦死者は3, 000 人に達するも言われこれを「長久手のい」といいます「小牧・長久手の戦いは家康にとってこの後、天下人として台頭するきっかけとなったいと言われており、長久手には池田恒興・元助親子や森長可ら秀吉方の武の塚をはじめ合戦の史が数多く残されています

On April 9, 1584, Nagakute was the main site of the Battle of Komaki and Nagakute,” where the armies of Hashiba (Toyotomi) Hideyoshi on one side, and Oda Nobukatsu and Tokugawa Ieyasu on the other side, clashed head-on. The pitched battle was a seesaw affair with continuous offensive and defensive action, but as Hideyoshi’s leading generals fell in battle, fortunes shifted to the favor othe Oda-Tokugawa forces. The battle ended in a great victory for Oda and Tokugawa, and severaof Hideyoshi‘s lords and commanders, including Ikeda Tsuneoki,  died int he fighting. Then umber othe deareached 3,000 in w hat is known as thBattle of Nagakute. The “Battle of Komaki and Nagakute” was the conflict that led to Ieyasu’s ride to power、and many historical remains from this battle can be found in Nagakute, including the graves of Ikeda Tsuneoki, Mori Nagayoshi, and other commanders under Hideyoshi.

小牧・長久手の戦いとは?


愛知県は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑の出身地です。このうち、豊臣秀吉と徳川家康が唯一対決したのが「小牧・長久手の戦い」です。これはどのような戦いだったのか、簡単にまとめてみました。

発端は「本能寺の変」

天正10年(1582)6月、天下統一の途上にあった織田信長が家臣の明智光秀の手にかかり、京都の本能寺で討たれました。その後、後継者を巡って家臣たちの間で争いとなり、羽柴(後の豊臣)秀吉と、信長の次男信雄(のぶかつ)を支援する徳川家康が戦うこととなりました。

両雄、長久手で激突

天正12年(1584)4月、秀吉軍と家康軍は、それぞれ、犬山(愛知県犬山市)の楽田(がくでん)と小牧山(小牧市)に陣をしいて対峙していましたが、秀吉軍の別働隊が家康の本拠岡崎に向けて侵攻したことから長久手の地で激突することになりました。この戦いで、秀吉軍は池田恒興(つねおき)・元助(もとすけ)父子、森長可(ながよし)といった有力武将を失い、長久手合戦で勝利した家康は小牧山に戻りました。

天下は秀吉の手に

天正12年11月、「小牧・長久手の戦い」は、秀吉が信雄に和睦を申し入れ信雄がこれを受けたため幕を閉じました。翌年、秀吉は関白となり全国統一を推し進めていきます。一方、家康は秀吉政権下でも別格の地位を保ち、徳川政権樹立の足がかりを固めていきました。

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合戦に登場する主な武将


秀吉軍

羽柴(後の豊臣)秀吉(1537-1598)

HIDEYOSHI HASHIBA(TOYOTOMI)
1558年(永禄元年)から織田信長に仕える。「本能寺の変」の後、明智光秀、柴田勝家、織田信孝等を滅ぼし、信長の後継者としての地位につく。

池田 恒興 (勝入)(1536-1584)

TSUNEOKI (syonyu) IKEDA
秀吉方の武将。晩年に勝入と号した。母が織田信長の乳母のため、信長とは乳兄弟の関係。長久手の戦いの三河進撃第一隊として進撃し、長久手で戦死する。

森 長可(1558-1584)

NAGAYOSHI MORI
信長家臣。のちに秀吉の属将。武蔵守三河進撃第二隊。長久手で戦死する。勇壮な戦いぶりから、鬼武蔵の異名をもつ。なお、信長近臣の森蘭丸は長可の弟。

池田 元助(1564-1584)

MOTOSUKE IKEDA
恒興の長男。長久手の戦いの三河進撃第一隊として進撃し、長久手で戦死する。

家康軍

徳川 家康(1542-1616)

IEYASU TOKUGAWA
江戸幕府初代将軍。織田信長の死後、秀吉との対立関係を激化させる。小牧・長久手の戦いで秀吉と対決するが後に、臣従する。

織田 信雄(1558-1630)

NOBUKATSU ODA
信長の次男。「本能寺の変」後、清須城を中心に尾張、伊賀、南伊勢を領した。家康と手を結び小牧・長久手の戦いで秀吉と戦う。

井伊 直政(1561-1602)

NAOMASA II
家康の家臣。小柄な体つきで顔立ちも少年のようだったというが、赤備え(朱色の軍装)をまとって、勇猛果敢な姿は「井伊の赤鬼」と称された。